2013/10/22

近況と言うか、その後

先日、アインが来てからずっとお世話になっていた動物病院へサラが亡くなったことを伝えに立ち寄りました。もう半年近く経ってしまっているのに。。。

サラが亡くなってすぐに気持ちの整理を兼ねて報告に行こうとしてたんですが、毎日近くを車で通っているのにも関わらず、ついつい忘れてしまって行けずにいましたが、先日やっと近所を通りかかったタイミングで思い出したので行くことが出来たのです。

いざ、先生に報告を・・・としたら、アレ?亡くなったのは何日だっけ?最後はどんなんだっけ?しばらく寝たきりだったんだっけ?とクエッションマークばかりが頭の中を飛び交ってしまいました。

なんかすっかり忘れてしまっちゃってる・・・
亡くなる数日前の記憶がほとんど無くなっちゃってるんです。

サラのことをi思い浮かべると、ほとんど若い頃の事ばかり。
どこかに行って川で遊んだとか、シュタインと利根川の河川敷で薮の中に入って行ったきり1時間近く戻って来なかったとか、胃捻転起こして夜中に救急病院行ってスゴい金額の診察料だったとか、うちに来て間もない頃はハウスから出すと毎日のように「うれション」しちゃってたとか・・・

辛かった事とか、悲しかった事なんか、わざわざ自分に言い聞かせて思い起こさないと思い出せないくらい。

なんか、コレって飼い主としてスゴく幸せなことなんじゃないかって解釈しちゃってます。(言い方変えれば現実逃避?それとも楽観主義?)

2013/04/17

サラも旅立ちました

去る2013年4月11日午後6時過ぎ、サラが15年6カ月の生涯を閉じ、痛みも苦しみもない世界へ旅立ちました。

アインもシュタインも越えることができなかった15才の壁を何食わぬ顔で迎えましたが、膀胱の内部にできた腫瘍と老いには勝てませんでしたが、亡くなる前夜のご飯も自力で食べ、水も飲んでいました。

亡くなった日は、朝から食事を受け付けず、水も2~3度舐めた程度。前日から少し呼吸が荒かったのもあり、突然の変化に「今日、明日かな?」と予感していました。
残念ながら息を引き取る瞬間は見守ってあげられませんでした。ひょっとしたらサラは見られたくなかったのかもしれませんが、最後の最後を見届けられず、とても悔んでいます。

3頭目の旅立ちですが、こればかりは慣れたりすることはできませんね。

寂しさは最後の1頭だったので、かなりあります。でも悲しさはアインやシュタインと別れたときの打ちひしがれたような悲しさとは違い、少し表現が変ですが「飼い遂げた」充実感のような変な感覚です。でもやっぱり別れは悲しいです。
その悲しみを1分、1秒でも先送りにしてくれたサラに感謝の気持ちでいっぱいです。



またサラに会いたい。


もちろん、アインにも、シュタインにも。